試験に落ちて気づいた私の必勝パターンと、それがなくても生きていこうと思った話

コラムには時々私の話を書きます。鍼灸マッサージ院を選ぶ時、どんな人がやっているか気になりませんか?現在のところ、当院は私が100%対応するので、ご参考にしてください。タイトルはちょっと、今風です。

目次

試験に落ちたってよ

こわだかに話すことでもないのでしょうが、2年間かけて準備していたとある認定試験に受かりませんでした。

落ちたことは言い訳のしようがなく、明らかに準備不足でした。結果が出てすぐに怒涛の振り返りをしまして、自分の課題が見えてきたので、まとめることにします。

戸惑っていたこと

女子あるあるの一つが、不安を口に出すこと。「ああもう、受からないかも」と言いつつ、しっかり勉強している。私も「受からないかも」を連発していました。みなさん、あるあるだと思ったのでしょうね。「またまた、五十嵐さんったら」とスルーされたり、励ましてくれたり。

でも本当に受からなかった。あの時の言葉は、本当でした。

これが必勝パターンと気づいた

いや、そっちを想定して勉強しておけって話なんですけど、私がそれほど集中できなかったのは、いくつかの理由がありました。まずはそのひとつを。

仕事の経験上、どんな人にでも長嶋茂雄さん(昭和世代にしか伝わらないかも)のように「なぜかうまくいっている」があると思っています。

何がうまくいっているかは、うまくいかない時に初めて気づけるとも。

今回落ちて気づいたのは、私にはうまくいっている時にお決まりのパターンがあったことです。

どういう世界観で、何が求められているか。ルールやゴールの到達点、なぜその作業をするかなどの目的をしっかり理解できれば、あとは計画通りに進める。

うまくいく時はいつもそうやってきました。成功したいならフレームワークが9割、が、私の必勝パターンでした。

今回は、全く通用しませんでした。求められているレベルが全くわからず、深度や範囲を適切に押さえないまま勉強をしてしまいました。ある分野に異様に詳しかったり、他の分野は全く勉強していなかったりと、ムラがとても多い状態でした。

うまくいかなかったことで、私のやり方に初めて気付けました。

そうか、だから苦しかったんだ

不思議なもので同じようなことが続いていました。

というのも、受けていたカウンセリングでも起きていたと、試験後に気づいたのです。

カウンセリングを受けるきかっけはまた別の機会に書くとして、6月から始まったカウンセリングが、9月ごろから11月まですごく辛かったです。

夏頃からカウンセラーから「違う、そうじゃない。あなたのそれは◉◉のリスクがある」と、指摘が続き、私は「あれ?そんなカウンセリングを望んでいないのだけど?何が起きているの?」と、戸惑いました。


その時に、自分がカウンセラーから今私に対して何をされているのか、それはどんな目的があるのか、説明がないまま土俵に乗っていて、すごく辛いと伝えました。

私はカウンセラーに、私の求めに応じて説明を望んだのですが、話は毎回平行線。何度となく継続は不可能と感じながらも続けました。

と書くと、臨床心理士さんたちが「このカウンセリングは正しかったのか?」と、ざわつくかもしれないのだけど、今回書きたいのは、フレームの話じゃないです。

今にして思えば、フレームがない時の私は全く別人のように力が出せなかったり、大人になりきれない。そのこと自体が課題でした。

自分を生かしきれない世界が広がっている時に、どうふるまうか。どう考えるか。

苦手なところを克服するパターンを、作り直していく必要があると感じました。

相手の求めに合わせることが得意

「私はあなたに何も求めていない」

そういえば、仕事の上司から、このような言葉をもらったことがあります。

当時は今以上に、相手に合わせることが得意でした。もっというと、人の求めを理解して相手に合わせて行動しないと、安心して生きていられませんでした。

上司とは決して仲が悪かったとは思いません。でも、一緒にいるのが苦しかった。上の言葉は、職場トラブルの当事者になった時に、上司の言動に私がすごく腹を立てて話し合った時にもらった言葉でした。

この時の出来事はいまだに許すことができず、私の苦しさになっているのですが、一連の共通項に気づいて、あの時すら同じだったんだと理解できました。

思っている以上に、日常は私の苦手パターンがゴロゴロしている。むしろ、良くぞ今まで避けてこられたな、フレーム作りにエネルギーを消費していたな、と。

で、ここから先はやっぱり変えたい。そう思うのが、認定試験に集中しきれなかったもう一つの理由とも重なってきます

何もない自分を幸せにしたい

いい大人というか、いや実際に大人だし、なんなら私の母や祖母は私の年齢近くで孫がいた年なので、ちょっと恥ずかしいのですが、この際だから書いておこう。

勉強の追い込み時期は、ちょうどカウンセリングで追い込まれた時期と重なりました。キラキラ皆無の自分探しに向き合うときに、「勉強が好きじゃないかも」と頭に浮かびました。他にもっとやりたいことが浮かんでいたのです。

家を片付けたい。
ご飯を作りたい。
メイク動画を見たい。
ダンスレッスンを受けたい。
家計を見直したい。
鍼灸マッサージ院の拠点を持ちたい。
事業計画を出したい。
でもその前に、何もしないで実家で過ごしたい。

カウンセラーからは、私のやりたいことを聞いて、何者でもない自分を受け入れることを提案され続けました。そしてもっと具体的なイメージが持てるように掘り下げることも指摘されました。

もうひとつの理由

言うのは簡単だけど、受け入れるのは、簡単なことじゃないです。まずは、50年近く続いたやり方が急に変わるわけがない。

実際に「どんな家にしたい」と繰り返し聞かれても、私が出す言葉は「まだ霞(かすみ)でその幸せが逃げていくかも」と言われるくらいぼんやりしているし、事業理念も、脆弱だなと頭を抱えいます。

ただ、その認定試験を受けようと思った2年前の自分と今の自分とでは、「こんな私になる」が全く違う。

自分のフレームを壊して新たに作り直そうとしていたのだから、気持ちが入らずに勉強不足になって当たり前です。

たぶん仕事のスタイルも変わる

この文章を、認定試験に落ちてから24時間後に書き始めていますが、過去のいろんな出来事が一気に腑に落ちています。私はこれまで他者とか、制度とか、自分以外のなにかの未熟さのせいにしがちだったことを痛感しました。

と同時に、落ちたとて私の周りがなにも変わらないことと、自分が望んだことがなんであれ、支えてくれる人たちがたくさんいることも。

何者でもない自分が「こうしたい!」というだけで、いいのだと。

となると、仕事のスタイルも変わってきます。

出張専門の鍼灸マッサージ院は開業して12年目です。ここまでの仕事は、相手に合わせた環境や条件で結果を出すことが役割だと思ってきました。この先は、自分のやりたいことがもっと具体的に見えてくるでしょうから、「こういう施術をさせてください。それでよければぜひ関わらせてください」が強くなると思います。

肝心の再受験は。

今の時点では分かりません。やり切ったと言えるほどの本領は出せていないし、かといって、悔しさもない(悔しいと言えるほど勉強したと言えない)。

頑張ってはいたけど、この先の人生はもっと大切に生きたいので、やっぱり必要と思ったら勉強は再開するでしょう。まずは、やりたいことリストをやりながら、仕事のスタイルを入れ替えてまいります。

年内は満席ですが、年明けは予約にゆとりがございます。
気になる方はぜひご検討ください。

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