困っている人を「助ける」は、いつだって難しい

院長日記。ふだん思っていることを、書き留めました。

PTAの任期が終わりました。私の役割は、地区の通学路関連の取りまとめです。集団登校の保護者の当番日程なども決めます。

地域によって集団登校の目的は違うし、私の地域は本当に恵まれているので、負担はかなり少ない方です。でも、この役割を担う前は、当番の時に緊張しました。当番の交代が苦手だからです。「しっかり、自分の時にやろう」と、ずっとかまえていました。

そんな緊張を知っているから、他の保護者さんの負担は減らそうと思っていました。

当番の保護者さんは、集団登校で取り決めた場所まで一緒についていく、パトロールをして次の方にグッズを渡します。かくと、数十文字に満たないけど、仕事をしていると意外と大変です。

小さいお子さんを抱えてワンオペの方もいましたし、ご自身がご病気の方もいた(と思います。詳しくは聞いていません)。集団登校に参加したくない子どもを抱えた保護者さんや、子どもが学校に行きたがらないと悩んでいる方もおられました。

私は、本当は毎週顔を出さなくてもいいのに、ほぼ全ての集団登校日程で顔を出していました。何かあれば、すぐ変われるようにと。

でも、誰にもそのことは言いませんでした。

全部を引き受けていたら自分がしんどくなる、というのもありますが、自分で乗り越える力を奪ってもいけないな、と感じたからです。

今から15年以上前、私はリハビリ目的の施術に関わっていたことがあります。

脳梗塞などの後遺症で、からだが思うように動かせなくなった方のサポートに入っていました。

それ以降、街中でも麻痺がある方などに目が止まるようになりました。

特にスーパーでお惣菜を買ったり、重い荷物をもっておられると、「なんとかして差し上げたい」と思います。

私の場合は、それが行き過ぎるというか、「買い物のついでに御用聞をしてあげればいいのでは」とか、「ついでにご飯を作って差し上げようか」とまで考えが及んでしまう。

これが悪いことだと思いませんが、身体って使わないと育たないんです。その機能を使わないと、どんどん使えなくなる。

「大変そうだから」とか「いいサービスがあるから」だけで助けてあげることは、時にその方の尊厳を粗末に扱うし、解決する力を育てられないと思うので、とても難しい。

もちろん、この考え方がうまくいかないことだってあります。

例えば、子育て中の保護者や障害をお持ちの方の中には、困っているんだから助けてもらって当たり前!と攻撃する方もおられました。その怒り自体が、心の奥の声のひとつのサインだと思うのだけど、決して彼らのせいだけではなく、手を差し伸べた周りの不適切さも大いにあるだろうと思っています。

手を差し伸べる側は、自分のいっときの自己満足や正義のために相手を利用していないか、と、いつも考える必要があるのかもしれません。

困りごとに手を差し出すことは、その方の何かを奪うリスクだったり、その方が解決するべき問題を先送りにしてしまう場合もあると、私は何度も何度も学んでいます。だからPTAでも先回りはしませんでした。

施術の観察と同じように、その場にただ立ち続けてみました。そして、必要に応じて工夫しました。どれもいい結果を生んだと思っています。だけど、相手の生きる力を奪っていないか、考えないといけないとも。やっぱり、いつだって悩ましいことには変わりはない。


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