昨年の苦悶をすっかりと忘れていますが、昨年出版界の松下村塾をうたうブックオリティに参加しました。その時の同期の一人はんだあゆみさん(ぢーこ)が、4月末に私をインタビューしてくれて記事に書き上げてくれました。今日はその内容を投稿します。私が修正したのは、母の仕事と、クライアントさんの情報のみです。
サムネイルに使った写真はゼミの一大イベント終了後のタカトモさんと、ぢーこと、写真家の雅ちゃん、そして先月『メガネが人生を変える』を出版したまこっちゃん。まこっちゃんは、出版おめでとう!!
『可愛い顔したスーパーコンピューター五十嵐いつえができるまで 』
というタイトルで書いてくれました(笑)。この名付け親はぢーこです。ではスタート。
いっちゃんはこんな人
「女性と子ども専門の鍼灸マッサージ師・五十嵐いつえさん」には、平成が終わるころ初めて会った。
治療家なので知らない人には「先生」と呼ばれてしまう機会が多いのだ が、「先生」と呼ばれることでおごり高ぶることの無いように「いくつに なってもいっちゃんと呼ばれたい」と誰に対しても言っている。なので、 私もいっちゃんと呼んでいる。
いっちゃんは、見た目がとにかくかわいい。鍼灸マッサージ師界のスー パーアイドルである。
そのうえ頭の回転が速く物事をとてもロジカルに 考えるので「かわいい顔したスーパーコンピューター」の異名がある。
2020 年 5 月現在、世界に新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が蔓延し各国で都市が封鎖されている。毎日、コロ ナウイルスによる死者数と感染者数が発表されるという異様な事態が当たり前になってしまった。
日本でも緊急 事態宣言が発令され、#STAY HOME が合言葉となり、家に籠っていない人たちを見張るかのような動きが出てきて、世の中がとてもぎすぎすし始めている。
いっちゃんは、今、大学での四年間に培った科学的思考と、医療従事者の友達のネットワークと、持ち前の観察 眼とを総動員して、ネットにあふれる情報の海からこれは有益だと思われるものを見つけてはブログに書きつづっている。
「コロナで出張治療ができなくなっちゃって、今できることでやりたいことがこれなんだよね」と言いながら、 科学的側面と人の心理的側面と両方から世の中を眺め、人類が正体不明のコロナウイルスに対処するにあたり 「こちらの方がまだ信頼性が高い」と思われる情報を掬い取っては発信している。
いっちゃんは、私が知っているどんな鍼灸マッサージ師さんとも違う独特の人間観とポリシーを持っている。おそらく、みんなこの可愛い顔に引っ張られて、中身のすごさに気づけないでいると思うのだが、実はいっちゃん は世の中の二歩先を歩いているのだ。
今日はそんないっちゃんが、今のいっちゃんになるまでの話を書いてみたい。
幼少期に体験した「ゆるむと治る」
いっちゃんは、学者の父と英語教師の母のもとに生まれ、7 歳から 9 歳を父の海外赴任に伴ってドイツで過ごし た。小さなころから体が弱く、風邪をひくと⾧引くことが多かったという。
発熱や頭痛に始まる症状が、喉に移り咳が⾧引くというのがいつものパターンで、だらだらと続く咳と呼吸の苦しさに毎回絶望的な気分を味わっていた。
しかし、いっちゃんがさらに絶望していたのは、対症療法しか行わない西洋医学に対してであった。
病院 に行って頭が痛いと言えば、鎮痛剤が出る。熱があれば解熱剤。けれど、幼いいっちゃんは、自分の不調を詳し く語る語彙を持たなかったので、医者にはいっちゃんの辛さは伝わらなかったし、この後⾧く続くことになる咳には、対応してくれなかった。
ここから咳の症状が延々と続くとわかっているのに、咳が出始めてやっと咳止め が処方されるのだ。そしてまた、この薬が合わないのか、小さないっちゃんにはちっとも効かなかった。
いっちゃんがラッキーだったのは、ここで鍼灸マッサージの世界に出会えたことである。
ご両親はともに関西文化圏のご出身で、東洋医学が日常生活に近いところにあった。子どもの病気に対しても鍼灸マッサージ師を信頼 し気軽に診てもらう風土があったのだ。
そこで、いっちゃんは初めて鍼灸マッサージを体験する。丁寧に体をほぐされる体験は純粋に心地よかったし、その「快」の体験は「楽」を連れてきた。人の体は、気持ちいいことで ゆるみ、楽になるのだと知ったのだった。
また鍼灸マッサージ師たちは、いっちゃんが言語化できない痛みや辛さを、体から読み取って対処してくれた。口で言わなくても体が語る言葉を聞いているようだった。
何よりいっちゃんが気に入ったのは、「病気の症状を抑える」という西洋医学に対して、「病気にならないように する(未病)」という東洋医学の考え方だった。
症状というのは、熱にせよ咳にせよ、すべて同じウイルスなり細菌なりが起こしている。体の免疫システムが戦 っている場所が移動するから症状が変わって見えるだけで、おおもとは、体に侵入した炎症を引き起こすモノの仕業である。
だとしたら、そのおおもとが体に侵入しにくいように体を整えることができれば、こんなつらい思 いはしなくて済むのに、といっちゃんは思ったのだった。
症状という枝葉を追いかけて叩いても、結局のところ、根本のウイルスや細菌をどうにかしないことには、いつ までたっても戦いは終わらない。枝葉末節よりも大事なのは、幹であり根なのだ。
この考え方は、いっちゃんのあらゆるベースになっているように思う。
科学がエビデンスを重視し、小さな証拠 集めに躍起になっているさまを見ながら「大事なのはそこじゃないよ」とつぶやくいっちゃんが今もいる。
いっちゃん鍼灸マッサージの道を目指す
そんないっちゃんも、高校三年生となり将来の進路を見据えて進学先を 決めなくてはならなくなった。
幼少期から東洋医学に慣れ親しみ、また、 生物の体の精緻なシステムに魅了されていたいっちゃんは、鍼灸マッサ ージ師の道を進みたいと思っていた。
だがここで、父の反対に遭う。
「鍼灸マッサージの専門学校に通ったり、文系の大学で学んだりすることは、ある程度、年齢がいってもできることである。が、理系の大学で 学ぼうと思ったら理数系の能力が使える状態になっていないと入学すらできない。理数系の学問は積み重ねが大事なのでブランクがあると途端 に使えなくなる。今、理系の大学にいけるだけの力があるのならば、理系の大学に行っておいた方がいい」 父の主張はこうだった。
いっちゃんはなるほどと思い、ならばと獣医を目指す。入試の結果は、わずかに及ばず 第一志望の獣医学部には入学できなかったものの、微生物を専門に四年間みっちり基礎研究で鍛えられた理系の思考方法が、その後のいっちゃんの大切な核になった。
科学は西洋哲学から発展してきた学問である。
「A は B である」という仮説があったとする。
西洋哲学は「それ は本当か?A が B でない場合は、絶対にないのか?」と反証を探す。反証が一つでもあれば、それは正しい仮説 ではなかったということで採用が取り消される。疑うセンスが必要になる学問なのである。
いっちゃんは、あらゆることを鵜呑みにしない。「本当っぽいな」と思ったときほど、丁寧に検証する。それは、 大学の四年間で鍛えられた力なのである。
さて、微生物研究に邁進していたいっちゃんだが、修士論文のテーマにしようと思っていた研究が暗礁に乗り上 げ、大学院への進学をあきらめざるを得なくなった。そこでまた転換を余儀なくされる。
研究者の道は消えた。 じゃあ、なにをしようか、と。
ふたたび相談した時、父は反対せず「今ならいいんじゃないか」と背中を押してくれた。 そこから「鍼灸マッサージ師・五十嵐いつえ」への道がスタートするのである。
いっちゃんの発見「人は言葉でもゆるむ」
鍼灸マッサージ師の専門学校に入学したいっちゃんだが、ここでかなり驚くことになる。
専門学校は手技を教わ るところかと思いきや、ほぼ座学なのだ。マッサージの理論、ツボの位置、鍼の打ち方、などは教科書で教えるが、実技は、めいめいで師匠を探してその下で習え、ということらしかった。
そこでいっちゃんは、師匠について体を整える技術を学んでいくことになる。厳しい師匠や姉弟子たちに鍛えられ、もともとの観察眼が優れてい たこともあり、いっちゃんはめきめき頭角を現す。
マッサージにはセオリーがある。ここを押さえればゆるむというポイントがあるのだ。体の調子を上げるために は、こうするといい、ということも教わった。
これらのテクニックは万人に共通に使えるはずだった。けれど、 そのセオリーが通用しないクライアントさんが時たまやってくる。どうやっても緩まない。いつまでも緊張が取れずに体が硬い。
いっちゃんはある日、この「いつまでも緩まないクライアントさん」がふっとゆるむ瞬間を経験する。それが、 どんな時だったのか思い返すと、たわいもないおしゃべりの間に起きていたと気づいた。
「私にとってはたわいもない会話だったかもしれないけれど、クライアントさんにとってもそうだったのだろう か?」 いっちゃんは、会話の中でクライアントさんに起きていたであろうことを想像してみた。
「何かに安心してゆるんだ感じだった。自分の中に強固にあった思い込みがすとんと外れて、なんだ、これでも よかったのか、ってほっとした感じだった」
それに気づいてから、いっちゃんはカウンセリングも大事にするようになる。
思い込みのない人間なんていないから。心の中にある思い込みが体を滞らせるなら、体を楽にする鍼灸マッサージ師としては滞りを作る原因を取 り除けるようにならなくてはいけない。そのようにしていっちゃんは、体と心の両方を整えることを意識し始め たのだった。
「現代の人はどっちかに偏ってる人が多いと思うんだよね。」といっちゃんは言う。
思考に偏りすぎて何でも頭の中だけで考えてしまい、行動の一歩が踏み出せない人。
逆に、心を武装するかのように筋肉をつけまくり自分の中の思い込みを放置してしまっている人。
どちらも半分しか生きてない。自分の人生を生きるとは、自分で考えて決めたことを実行できることだ。
考えを 頭の外の世界で実現していくには、健やかな頭と、健康な体が必要なのだ。要はバランスが大事なのである。
いっちゃんの覚悟 「チーターより大腸」
バランスが大事だと思っているいっちゃんなので、バランスの取れた整った人が好きなのだろうと思っていたら、 実は「よくこんな状態で生きてきたなあ」と感じる崖っぷちを生きている人の体が大好物だという。
旺盛な好奇心と探求心が極端な事例に惹かれるということなのだろう。
どこをどう緩めたら、この人が楽になれるのだろうか?と途方に暮れそうな体を前に挑戦する気持ちがむくむく 湧いてくる瞬間がたまらない。
問診と簡単な会話から、その人の凸凹や滞りを探る。極端に突出したところ、極端に欠けているところは、ご本人にとって傷になりやすい。
それらの特性は日本の社会の中では、はみ出し叩かれる要素だからだ。その方の中に蓄積した「私はダメだ」という思い込みを、体に触れながら癒していく。
また、その人の肉体という固有の世界からもわかることがある。
普段の使い方の癖、思い込みから縮こまる場所、 人によって固まって流れが悪くなる所は違う。そこを探して、エネルギーを流す。そうやって、がけっぷちを生 きている人の体をよみがえらせた時、カラダオタクの血が騒ぐのである。
そんな、より難しい症例、変わった体を求めてやまないいっちゃんなので、時々は妙なクライアントに依頼を受 けることがある。
その人は、大腸が過敏で痛みがあると連絡をくださった。
「お腹の症状なら、ここをこうして」と、話を聞きながら頭の中 で治療を組み立てているいっちゃんに、 「うちには精霊がいるので、その精霊のいうことを聞いて施術 してください。」 とその人は言った。
「精霊ですか?」
「はい。エントランスにいる、チーターの精霊がそうです。あそこで 鎖につながれているでしょう?」
「ええ、いますねえ。」 鎖だけが転がっている床の上を見ながら、いっちゃんは答えた。

断っておくが、いっちゃんには人に見えないものが見えるわけではない。
チーターも精霊も見えない。
だが、クライ アントさんの世界にそれが「いる」のであれば、治療の邪魔をしない限り「いる」ことに付き合うと決めている。
治りたい気持ちがあって、こちらの施術を受け入れてくれるなら、どこまでもクライアントさんに付き合う覚悟 があるのだ。
そのクライアントさんのお宅のチーターの言うことも、いっちゃんは聞ける限り聞いて受け入れた。見えないチーターを 踏まないように、エントランスを注意して歩きもした。
だが、いっちゃんにも譲れないものがある。
いっちゃん「〇〇さんは、辛いものがお好きなんですよね?」
クライアントさん「はい。香辛料がたっぷり入ったものを、毎日頂いています。」
いっちゃん 「大腸が炎症を起こしていますので、まずは、そちらをいったんやめていただかないと。」
クライアントさん「いえ。精霊は、香辛料をやめずに施術してくださいと言ってます。私の食生活は変えずに治してください。」
いっちゃん「……。」
さすがに、こちらのクライアントさんは途中でお断りしたそうだ。 その人の世界にチーターがいるのはかまわない。だが、チーターが治療の邪魔をするのは許せない。
炎症を悪化させない ように刺激物を控えるというのは、科学的知見である。いっちゃんの真ん中には科学が柱として通っている。そ の科学と矛盾するようなことを受け入れるわけにはいかない。
いっちゃんは、クライアントさんに「チーターよりも大腸」を大事にしてほしいのだ。それが治すつもりがある、ということだと思うから。
こんな風に、お断りすることもごくまれにあるが、いっちゃんは基本、誰の依頼も断らない。
それは、「困ってい る人を助けたい」というような気持に根差したものではなく、先にも書いたように「ヒトの体を探求したい」と いうあくなき好奇心の賜物だ。
だが、「助けたい」より「探求したい」が軽い気持ちなのかというとそんなことはなく、いっちゃんは、体を診せてくれるクライアントさんたちには地獄の底まで付き合う気でいると言う。
体を 整える人として、その人の人生を伴走し、やがてあるべきルートに戻ってくるまで寄り添い続ける覚悟があるの だ。
女性と子ども専門の鍼灸マッサージ師・五十嵐いつえ。 一流アスリートのようなストイックさで、仕事に相対するかっこいい女なのである
はんだあゆみ(ぢーこ)